作家インタビュー

片山雅美Katayama Masami

先生の家に住み込みをして学んだ修行時代。その経験はとても大きなものだったと思います。

桃山時代の大名茶人・古田織部が生み出したといわれる織部焼。主に茶碗や食器などに用いられ、最もよく知られる緑色の青織部のほか、白織部、黒織部、赤織部と、釉薬の色によっていくつかの種類が存在する。
なかでも赤織部の代表的作家として知られるのが、片山雅美さんだ。

片山さんがものづくりの道を志したのは、高校生のころ。進学か就職か、卒業後の進路選択を迫られた片山さんは、手に職をつけたいと考え、長岡京にあった陶芸家の工房を見学したことがきっかけだという。

「父の職場に、長岡京から焼物の先生が実技講習に来られていたのです。その先生の工房に連れて行ってもらって、それで興味を持ちました」

その後、片山さんは陶芸家を目指し京都市工業試験場へ進む。1970年に試験場を出た後は、日展の審査員も務めた名工・叶光夫氏に師事することになった。そこで初めて美術品としての陶芸を見て、大いに刺激を受けたという。しかし、叶氏は片山さんが工房に入ってわずか4ヵ月後に亡くなってしまい、直接教えを受けることはほとんど叶わなかった。

その後、叶氏の弟子である西川實氏が泉涌寺から深草へ窯を移すことになったことを機に、片山さんもその手伝いとして西川氏の下へ弟子入りする。それから7年もの間、片山さんは住み込みの弟子として西川氏の下で過ごした。うち4年間は、西川氏の家庭で共に生活していたという。

「昔の私はとにかくシャイで、人前で話すことが苦手でほとんど喋らない子供でした。ですが、先生の家で過ごしているうちに話せるようになった。今はこうやって自分の作品について話しますし、学校で人に教えたりもしています。住み込み時代の経験は本当に私にとって大きかったと思っています」

片山さんはここで兄弟子らとともに、多くの焼物を手がけひたすらに学んだ。師匠の作品に用いる土の準備から、問屋向けの数ものの焼物まで。さまざまな種類と数をこなし、安定して質の良いものを幅広く作り出せる腕を磨いた。

「陶芸は作家ものだけじゃない。まず数を作れてなんぼなんです。それに、失敗作を見るのも勉強だ、と西川先生は言っていましたね。自分のものを作れるようになるまでは3年くらいかかりました」

制作以外にも勉強を欠かさず、土日にはギャラリーをめぐって学ぶ時間にあてていたそうだ。案内をもらった展覧会には足を運び、さまざまな作品に触れ表現の幅を広げていったという。
その後、片山さんは1975年に日展に初入選。そして日本現代工芸美術展、翌年には京都工芸美術展に出品し受賞を果たした。受賞が大いに励みになったという片山さんは、1977年に独立。山科に「山雅窯」を開いた。現在もここを拠点に、個展出品を中心に創作活動を続けられている。

最初に出会った“理想の赤”に魅せられて。

そんな片山さんの代名詞となっている赤織部。まるで漆塗りの器を思わせる、手になじむしっとりとした質感と温かみを併せ持つ色合いが印象的だ。
片山さんは、西川氏の工房にいた頃から、主に黒地に線彫で加飾したものや、かきおとしの技法を駆使した技巧的な作品を手がけ、公募展でも高い評価を受けていた。赤織部に取り組み始めたのは、独立し山科へ移った頃から。最初の師・叶光夫氏がしばしば赤色の作品を手がけていたことに影響されたそうだ。

このときに初めて作った「赤陶」作品が、片山さんが赤織部を追求し続けるきっかけとなった。

「本当に美しい赤色が出たんです。朱がかかったような赤色が、本当にきれいで美しくて…」

運命の出会いというのだろうか。まさに片山さんにとっての理想の赤がそこにあったのだ。このときに制作した「赤陶」作品は京展で「楠部賞」を受賞するなど高い評価も受けたという。この赤に魅せられた片山さんは、それから25年以上にわたり“理想の赤”を目指して赤織部の作品を作り続けている。

今では、赤色の幅も広く、艶のある明るい色彩から、マットで穏やかな仕上がりのものまで、さまざまな美しい赤織部を生み出しているが、まだその時の「赤」とは違うという。

ふとしたことから、計算外の面白さが生まれる。即興でこんなことしたらどうかな、と思いついたことを試しています。

そもそも、当日の天気や気温、窯内部の状況によって出来上がりが容易に変わる焼物において、全く同じ色を安定して出すことは非常に難しい。片山さんの赤織部は、土で作った「匣(さや)」と呼ばれる箱に銅の釉薬をかけた作品を入れて密封し、1220℃の高温で10時間かけて焼き上げる。密封していれば空気の影響は少ないのではと思われるが、いくら密封していてもどうしても多少の空気は焼成中に入ってきてしまうため、その流れ如何で色味も肌触りも大きく変わる。でもその難しさが楽しい、と片山さんは仰った。

「色が変われば表情も変わります。全く同じ薬を使っているのに、焼き方や手順次第で全く違うものになるのが焼物。基本的な素材は似たようなものであっても、作り手のやり方次第で色々な個性が出るんですよ」

たとえば、赤色がうまく出なかった作品。普通なら失敗作扱いだが、片山さんはもう一度それを窯に入れて焼いてみた。すると、見事な緑色に変化したのだという。赤織部の場合、釉薬に含まれる銅の成分を酸素不足の状態にする炭化焼成という焼き方をすることで赤色を出すのだが、それをもう一度焼くことで酸化し、緑色に戻ったのだ。これは面白い、と三度窯に入れてみると、今度は赤と緑が絶妙に交じり合った不思議な色合いが現れた。思いつきで試したことが、新たな表現を生んだのだ。

「こういうのを見ると、やっぱり焼物って化学なんだなと思うんですよね。自分は化学者ではないから詳しいことまではわからないけれど、こういうふとしたことで計算外の面白さが生まれるんです」

片山さんの模索は、釉薬の色だけではない。たとえば土は、異なる素材をかけあわせることで新しい表現をしようと試みられている。ガラス片や陶片を混ぜて焼くことで焼き上がりの表情に変化をつけたり、使い捨てカイロの中身を土に混ぜ込んで焼成することで表面に浮き上がった鉄分を模様として生かしてみたり、とその発想はとてもユニークだ。

造形についても、片山さんの工夫が見える。最近はほとんどろくろを使わず、あらかじめ板状やひも状などさまざまな形状のパーツを作り、それをパズルのように組み合わせたり、変形させることで形を作っているという。

「カチッとした形よりも、少し歪みがあるものの方が赤の色が生きてくると思うんです。ちょっと足をつけたり、形に動きをつけたりすると、“物がしゃべってくれる”」

片山さんの作品のなかには、手びねりで作った人形が飾りつけられているものも見られる。顔に具体的な表情はないが、ポーズだけでそれぞれに個性が感じられる。まさに“物がしゃべってくれている”。片山さんが少し手を加えることで、焼物がとても生き生きとしたものになっているのだ。

「あれこれひとつのものをいじくるよりも、パッと即興でこんなことしたらどうかな、と思いついたことを試しています。焼物にああしなければ、こうしなければ、ってことはないですから」

焼物は決まりごとがない世界。
作ったものを楽しめれば、それでいいんじゃないかな。

片山さんは以前から陶製の文房具も制作されている。元々書道が趣味で、自分用にと硯を作ったことがきっかけだそうだ。これが評判となり、今では水を入れる水滴、筆の軸までを手がけている。近年では文房具のみで構成した展覧会も開催したそうだ。

また、2007年には京都新聞夕刊にて『器ごころ食ごころ-自作に盛る』を月一回連載(計13回)。片山さんが陶芸の道に入ってから現在までを綴った文章と、作品に料理や花を添えた写真をあわせた構成の記事で、これをきっかけとした展覧会も行われている。

「展覧会は色々な人との出会いが生まれるのがいいですね。展覧会にあわせて茶会や自作品を使っての食事会をやったり、色んな人との繋がりを持つ良い機会になっています」

近年では、近所の小学校へふれあいクラブとして陶芸を教えているという片山さん。工房の中には、焼成を待つ子供たちが作った作品が並んでいた。「同じテーマで作ったのに、皆全然違うんですよ」と片山さんは目を細める。子供たちの自由な発想も、片山さんの作陶においての刺激になっているようだ。

「高校を卒業後、陶芸の道に入ってだいぶ長いですが、今となるとこの道に入ってよかった、と思っています。作ることは本当に面白い。焼物は決まりごとがない世界だから、自由に作らせてもらっている。焼きあがったもの、できたものを楽しめれば、それでいいんじゃないかな」

片山さんの工房の一角には、今までに作ったさまざまな作品が並べられている。中には、京都市工業試験場に入って初めて作ったという処女作も、大切に保管されていた。大きさも形も色もさまざまな作品を取り出して見せてくださる片山さんの目は、まるでわが子を見るように愛おしげだ。作品ひとつひとつが、そんな片山さんが歩んできた道のりの証なのだ。

最後に、片山さんに今後の目標はなんですか、と伺ってみると、やはり赤ですね、と仰った。

「赤色をいかに大事に焼いていくか、が今後の課題だと思っています。理想はやはり、最初に出会ったあの“赤”ですから」

赤織部を始めたあのときに出会った“赤”が、今も片山さんの創作を支え続けているのだ。新たな表現を模索し、工夫を凝らしながら、“最初の赤”を追い求める片山さん。その陶芸の道は、まだまだ続いていく。
いつか、片山さんの理想の赤色を、私たちもぜひ見てみたいものだ。

片山雅美

1950年
京都に生まれる
1970年
京都市工業試験場 修了
西川實先生に師事
1975年
日展初入選
日本現代工芸美術展 工芸賞・読売新聞社賞 受賞
1976年
京都工芸美術展 佳賞 受賞
1977年
独立 山科に築窯 山雅窯
1978年
京展 京都美術懇話会賞 受賞
第8回世界クラフト会議に参加
現代の工芸作家展
1980年
京都工芸美術作家協会展 京都府知事賞 受賞
京都工芸美術選抜展 京都府買上
1982年
京都工芸美術展 優秀賞 受賞
京展 あかね賞 受賞
1983年
京展 市長賞 受賞
1984年
京都工芸美術展 新人賞 受賞
1985年
第3回京都美術・工芸選抜展
1986年
日本新工芸展 京都市長賞 受賞 外務省買上
1987年
日本陶芸展 入選
1988年
日本新工芸オーストラリア展 出品
日本新工芸展 京都市長賞 受賞
1989年
日本新工芸展 会員佳作賞 受賞
1990年
国際花と緑の博覧会 出品
日本新工芸展 審査員 '94.'98.'05.'08.'11
1991年
京都在住現代陶芸家展
明日をひらく日本新工芸展 佳作賞 受賞
日本新工芸展 京都府知事賞 受賞
1994年
淡交ビエンナーレ茶道美術展 入選
1995年
現代・京都の工芸展 出品
1997年
京展 楠部賞 受賞
1999年
京都美術工芸展 優秀賞 受賞
2003年
大阪成蹊大学芸術学部非常勤教員 2003年~2011年
2004年
日本新工芸展 会員賞 受賞
2007年
「器ごころ食ごころ」~自作に盛る~ 京都新聞に連載
2009年
日韓国際交流展 工人往来 熊本県伝統工芸館
日本新工芸展 京都府知事賞 受賞
2011年
初回中国高嶺国際陶磁芸術コンテスト 招待出品
2012年
第5回景徳鎮当代国際陶芸展 招待出品
第44回日展 特選受賞 赤器浮遊
2013年
第27回国際交流総合展 京都市長賞 受賞
2016年
京都工芸美術作家協会70周年記念展
圓・台日藝術交流展

代表作

  • 閑日花器

  • 赤織部花向付

  • 赤織部彩盃

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