作家インタビュー

番浦匠Banura Takumi

師匠の作陶や生き様は、強く印象に残っています

「独立した今も、師匠はどんなものを作っていたかな、と考えることもありますね」

どこか異国の雰囲気を感じるエキゾチックな文様の器たち。
細やかな線描に鮮やかな色彩、金銀を随所に効かせたその作風は、遠い異国の地からやってきたような不思議な空気感と華やかさを漂わせている。

この独創的な作品を制作しているのが、番浦匠(ばんうら・たくみ)さんだ。
京都の宇治市に生まれた番浦さんは、陶芸家・番浦史郎氏を叔父に持ち、祖父も漆芸家と、美術やものづくりに携わる人の多い環境で育った。

「美術工芸作家とか画家とか、とにかく親戚にものづくりをしている人が多かった。幼い頃からそういう人に囲まれていたので、自然と自分も「ものを作る仕事をしたい」と思うようになりました」
高校は京都市立銅駝美術工芸高等学校へ進学。その後、京都精華大学にて陶芸を専攻し、卒業後は史郎氏の下に弟子入り。本格的に陶芸家の道を歩み始めた。

三重県伊賀上野の音羽にあった史郎氏の窯には数多くの職人や芸術家が集い、一種の「芸術村」となっていたそうだ。史郎氏の親戚にあたる日本画家・加山又造氏も度々訪れ、コラボレーション作品の制作も積極的に行っていたという。番浦さんはそんな、さまざまな表現者たちがジャンルの垣根を越えて交流し刺激しあう、ある種、夢のような環境の中で5年間の修行を重ねた。
そして1996年に独立。以来、活動の拠点を置いている山科区勧修寺の地にて、精力的に作品を制作している。

「師匠(史郎氏)は「ああせい、こうせい」といちいち言う人ではありませんでした。空いた時間は割と好きにさせてもらっていました。でも師匠の作品作りからは色んなことを学びましたし、生き様は今も強く印象に残っています」

筆で線描する従来の絵付けとは異なる表情を生み出している

番浦さんが特に師匠の影響を感じるところは、食器を制作するときだという。
かの北大路魯山人の孫弟子にあたる史郎氏は、自身も魯山人同様の食通で、実際に料理屋に住み込みで働いた経験もあり、より料理を引き立てる器の表現を追求していた。番浦さん自身も食器を手がける際は絵付けの配置や器の形など、実際に料理を盛り付けたときを意識しながら作陶しているそうだ。
「独立した今も、師匠はどんなものを作っていたかな、と考えることもありますね」

史郎氏は平成13年に世を去ったが、その心はしっかりと弟子の作品に息づいている。

いかにも、なものではなく、「自分らしい」作品を作りたい

日々新しい「自分らしさ」を求めて作陶を続けている番浦さん

番浦さんの絵付け技法は他ではあまり行われていない、独特のものだ。
白化粧した器の表面に丁寧に文様を線彫りし、掻き落とす。それを焼成した後、上絵具で金銀や色彩を施していく。掻き落としで描いた文様の線がくっきりと器に映え、筆で線描する従来の絵付けとは異なる表情を生み出している。

「掻き落としで文様を入れてみたのは、本当にふとした思いつきでした。ただ、いかにも「京焼」、いかにも「和風」というよりは、「自分らしい」ものを作りたいと思ったんです」

色々なものを見たり聞いたりして、面白いな、と思ったら作品に活かしていきたいですね

現在は文様を全面に出した作品が主体の番浦さんだが、学生時代や独立間もない頃は、無地の粉引などシンプルなものを中心に制作されていたそうだ。
また、無地の粉引は制作者も多い。かといって、いかにも伝統的な「京焼」や「和風」のスタイルの表現に囚われていては、他との違いが出しにくい。

ならば、全く京焼とは異なる要素を取り入れてみてはどうだろうか。

そこで、番浦さんは中東のアラベスク文様やオランダ文様など、海外で用いられている絵柄や文様を取り入れたのだそうだ。

番浦さんの作品には京焼に伝統的に用いられてきたモチーフの文様から発想したものも含まれているが、どの作品にも彼らしい柔らかな線のタッチやデフォルメなどのアレンジが加えられている。

番浦さんの代表的な文様のひとつ、花鳥文は、それ自体は京焼でよく見られるモチーフではあるが、彼の手にかかるとどこか古代エジプトなどを思わせる、オリエンタル風の味付けになっている。また、「葡萄と栗鼠(りす)」の組合せは桃山時代に戦国武将にも好まれた伝統的な文様だが、番浦さんの作品では可愛らしいイラスト風にアレンジされ、とても現代的な印象だ。
「やっぱり、コテコテな感じにはしたくないんですよね。どの作品でも必ず、自分らしさをどこかに表現したいと思っています」

決まったものがあるわけではない、面白いと思ったことは作品に活かしたい

自然と「ものを作る仕事をしたい」を思うようになりました

番浦さんの「自分らしい」表現へのこだわりは、文様だけでなく造形にも現れている。

例えば、番浦さんの代表作である古代遺跡からの発掘品風のユニークな作品。
大胆にも側面は割れてしまったかのようなゴツゴツした断面になっており、土の風合いが釉薬の溜まり具合を生かしてリアルに表されている。また、上絵の一部は年月の経過で表面が風化したかのようになっているなど、細やかな表現がなされている。
一見すると、現代の作品とは分からないかもしれない。一度見たら忘れられない、とても印象に残る一品だ。

一度見たら忘れられない、とても印象に残る作品

全面に繊細なアラベスク調の文様を施した、イスラム圏のモスク(寺院)のような形の香炉は、元々企画展で骨壷として制作したものがきっかけだったそう。このような不思議な形になった理由も、誰もがイメージするようないかにもそれらしい形の作品にはしたくない、自分ならではの、面白いものを作りたいという思いからだったという。

既存の形にとらわれず、様々なところから新しい表現を求める大胆かつ情熱的な姿勢。それを形にする、丁寧で細やかな手仕事。番浦さんの独創的な作品世界の源泉は、ここにあるのかもしれない。

最近では、知り合いの料理人からのリクエストがきっかけで、新しい表現の作品も生まれた。皿に金や銀を焼き付けた後にあえて削り取ることで、使い込んだアンティークのような風合いの表現になったという。

「模様も形も、必ずここから発想する、と決まったものがあるわけではありません。いつどこにヒントが転がっているかわからない。日々色々なものを見たり聞いたりして、面白いな、と思ったらどんどん作品に活かしていきたいですね」

今後も新しい表現に積極的に挑戦していきたい

どの作品でも必ず、自分らしさをどこかに表現したいと思っています

「今までは色数を増やして華やかな感じを出していたけれど、青系だけに統一してみるとか、あえて色数を減らしてみるのもいいかなと思っています」

特に現在力を入れているのは金や銀の使い方。今まではアクセント的に用いていた金銀彩を逆に下地に用いてみるとどうなるか、色の組み合わせ方などを試行錯誤しているところだそうだ。

日々新しい「自分らしさ」を求めて作陶を続けている番浦さん。新たな挑戦について語る番浦さんの表情はとても楽しげで、表現世界を広げることへのわくわく感に溢れていた。その独創的な世界観はどこまで広がり、そしてどのような作品が新たに世に表れるのだろう。彼が新たに生み出す世界の一片に触れられる機会が、非常に楽しみだ。

番浦匠

1968年
京都に生れる
1987年
京都市立銅駝美術工芸高等学校陶芸科 卒業
1991年
京都精華大学美術学部造形学科陶芸専攻 卒業
叔父・番浦史郎に師事
1996年
京都市山科区勧修寺の地にて開窯
2005年
三軌展 入賞
三軌会 会友
ギャラリー企画展(京都・東京)
ニッコー 芸術家と文化人の作品展(京都大丸・高島屋)
個展:新宿京王百貨店、大丸心斎橋店
三軌会展
文部科学大臣賞、会員優賞、読売新聞大阪本社賞、奨励賞、佳作賞他
三軌会会員

代表作

  • 花鳥文珈琲碗皿

  • 草花文ぐい呑

  • 草花文香炉

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